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最高裁判所第二小法廷 昭和57年(あ)1807号 決定 1983年5月06日

主文

本件上告を棄却する。

当審における未決勾留日数中五〇日を本刑に算入する。

理由

弁護人梶川俊吉の上告趣意のうち、判例違反をいう点は、第一審判決は、罪となるべき事実中の被告人の本件行為として、被告人が、未必の殺意をもつて、「被害者の身体を、有形力を行使して、被告人方屋上の高さ約0.8メートルの転落防護壁の手摺り越しに約7.3メートル下方のコンクリート舗装の被告人方北側路上に落下させて、路面に激突させた」旨判示し、被告人がどのようにして被害者の身体を右屋上から道路に落下させたのか、その手段・方法については、単に「有形力を行使して」とするのみで、それ以上具体的に摘示していないことは、所論のとおりであるが、前記程度の判示であつても、被告人の犯罪行為としては具体的に特定しており、第一審判決の罪となるべき事実の判示は、被告人の本件犯行について、殺人未遂罪の構成要件に該当すべき具体的事実を、右構成要件に該当するかどうかを判定するに足りる程度に具体的に明白にしているものというべきであり、これと同旨の原判断は相当であるから、所論は前提を欠き、その余は、事実誤認、単なる法令違反の主張であつて、いずれも刑訴法四〇五条の上告理由にあたらない。

よつて、同法四一四条、三八六条一項三号、刑法二一条により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。

(牧圭次 木下忠良 鹽野宜慶 宮﨑梧一 大橋進)

弁護人梶川俊吉の上告趣意

原審の判決は、最高裁判所及び高等裁判所の判例と相反する理由不備の違法があり、かつ、重大な事実の誤認があつて、これを破棄しなければ著しく正義に反する。

よつて、原判決を破棄しなければならない。

第一点 最高裁判所及び高等裁判所の判例違反(理由不備)

第一審判決は、罪となるべき事実として

「かくして右屋上に上つた被告人は、同日午前五時二〇分ころ、同屋上において、右善子(当時四〇歳)を殺害してもかまわないという気持で、あえて同女の身体を有形力を行使して同屋上の高さ約0.8メートルの転落防護壁手すり越しに約7.3メートル下方のコンクリート舗装の被告人北側道路上に落下させて路面に激突させ、その結果右善子に……全治不明の傷害を負わせたが、殺害するには至らなかつた。」

と判示し、原審は、これを理由不備とする控訴趣意に対し、

「被害者の落下が被告人の行為によるものであることは証拠上明らかに認められるが、被告人が終始否認しているうえ、被害者は一命を取り留めたものの、現在に至るまで被害当時の記憶を完全に喪失しており、他に目撃者もない本件においては、原判示の程度以上に詳細な判示をすることは不可能と認められるから原判示はやむを得ないもの」である

として第一審判決を是認する判断を示した。

しかし、原審は、「被害者の身体の屋上からの落下が被告人の行為によるものであることが証拠上明らかに認められる」というが、後述するように証拠上必ずしも明らかでないし、被告人の行為を証拠上具体的に摘示することが不可能であるからといつて、第一審判決のように「有形力の行使」という意味不明の内容をもつ事実の摘示をすることは以下に記述するとおり罪となるべき事実の摘示についての判例に違反し、理由不備であり、これを是認した原判決も判例に相反し、理由不備の違法があるものといわなければならない。

判例によれば、有罪判決における「罪となるべき事実」とは、刑罰法令各本条における犯罪の構成要件に該当する具体的事実をいうものであるから、該事実を判決書に判示するには、その各本条の構成要件に該当すべき具体的事実を、該構成要件に該当するか否かを判定するに足る程度に明白にし、かくしてその各本条を適用する事実上の根拠を確認し得られるようにすることが必要であり、かつ、これでもつて足りるとされている(最高裁第一小法廷昭和二四・二・一〇判決同二三年れ第一一七一号刑集三巻二号一五五頁)し、高松高裁昭和三九・一二・三判決、高刑集一七巻八号八二八頁及仙台高裁昭和三〇・一・一八判決高刑集八巻一号一頁の判例も、罪となるべき事実の記載が具体性を欠き、または特定性を欠いて抽象的に記載するに止まり、具体的にいかなるものであるかを特定的に認識することができず、そのため犯罪の構成要件に該当する具体的事実を窺知しえないものを理由不備としている。

これを本件についてみると、被害者善子の身体が、屋上防護壁越しに、道路上に落下し、被害者が負傷するにいたつたことについて、被告人がどのような行為をなしたのかという犯罪の手段、態様を具体的に明らかにし、被害者の身体の落下負傷の事実と、被告人とを関係づける被告人の具体的行為を明らかにすることが必要である。ところが、原審の是認する第一審判決は、その被告人の行為について、単に「有形力を行使した」と判示しているにすぎない。しかし「有形力の行使」というだけでは「無形力の行使」ではないというだけのことであつて、被告人の行為を具体的に明白に示したことにはならない。このことは、刑法上の暴行の概念と同様に有形力とは広義の物理力を意味し、打撲、刺、斬、圧力などの力学的作用のほか、音響作用、光、熱、電気、電波等のエネルギー作用を含むし、病源菌、腐敗物、麻酔薬、毒物、臭気等の生理的影響を与えるものも含む概念であることに照らして明らかである。極端なことをいうと「なでる」のだつて「有形力」に含まれるという学者もある。

さらに「有形力」が直接被害者の身体に加えられる場合もあり、物を介して加えられる場合もある。さらに本件の場合には、「有形力」が、被害者の身体のどの部分に、どの程度の強さで、どの方向に加えられたのかによつてその「有形力」が被害者に死の危険性をもたらすおそれのあるものであつたか、なかつたかの判定の分れるところである。第一審判決の事実の摘示は、端的に要約すれば「被告人は、屋上から被害者の身体を落下させた」というにつきるものであつて、犯罪の手段方法の特定はできず、この第一審判決の事実摘示を容認した原審は、罪となるべき事実の摘示において「当該各本条に該当すべき具体的事実を、当該構成要件に該当するか否かを判定するに足る程度に明白した」ものとはいえず、前記判例に違反し、理由不備の違法があるものといわなければならないから破棄を免れない。

もつとも、最高裁判所昭和三八・一一・一二第三小法廷判決、昭和三五年(あ)第二八〇〇号(刑集一七巻一一号二三六七頁・裁判所時報三八九号二頁、同時報三五三号四七頁)は、放火罪の判決において、具体的な点火方法が明示されなくても違法ではないと判示しているが、右判例の場合は、点火の媒介物件が明らかにされ、これにガソリンを流し込んだことも明らかにされて、放火の実行行為に着手した事実が明らかな事案であつて、ただ点火に使用したのがマッチか、その他のものか不明であるというのであり、本件とは事案を異にすることから、この判示を不当に拡張解釈して、被告人の犯行の具体的方法が証拠上不明の場合に、その具体的方法を罪となるべき事実摘示において省略してもよいと即断することが許されないことは明らかである。<以下、省略>

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